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赤崎大氏講演会特集

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諦めない勇気を 

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産経新聞 平成29年(2017年)8月16日 

曽野綾子の透明な歳月の光 

人間の任務

 生涯の終わりに望む言葉は

 毎年、今年の暑さは例年にない、と私たちは語り合っているのだが、私は最近深い疲労でろくろく動けなくなった。

 昨日今日の疲れではない。多分生きてきただけ、80年以上の疲労を溜(た)めてきたのだろうと思う。

 その疲労の実態は、南極か北極の海に浮いている氷塊に似ていると感じる時がある。

そんな氷塊など実際に見たこともないのだが、深く大きく、しかし体積を確かめようがない。

 その見えない氷塊の大きさの実感は、私の生涯の長さや体験とも関係があるのだろう、と思う。

私の同級生の中にも、病気ではないのに、疲れる疲れる、という人がいるらしいが、それを聞くと、「年頃病」という柔らかな言葉も思い出す。

若い時、じんましんや原因不明の微熱が続いたりした時、私は自分でそう思って心理を片付けることにしていた。

 疲れたと言えば、怠けていられるというのは、実にぜいたくなことなのだ。

昔だったら、高熱が出てもいないのに、寝ていられる社会的風潮はなかった。

 大きな老舗の奥さんほど、大勢の雇い人の手前、昼間から寝ていることなど許されなかったという。

 「そういう時、どうするの?」と地方出身の友人に聞くと、押し入れの中に隠れて、横になっているという。

 私はまだ自分で料理を作っているから、トマトの冷製スープとか肉じゃがなどは、いつも多い目に作ってあるので、怠け病にかかっていても、おかずには困らない。

 こういう状態では、大抵のテレビ番組は眠たければ寝てしまうのだけれど、アメリカ製のフィルムで、よくできた戦争ものなどは、さすがに途中で眠くもならず終りまで見る。

しかしどんな話だった、と聞かれても、詳細まで語れないのは老人風である。

 8月はことに戦争番組をよくやっている。

日本が関係した戦争は、からりよく覚えているが、ヨーロッパ戦線は知識の絶対量が足りないから、勉強のつもりでよく見ている。

空襲は何度も経験したが、私には地上戦を生き延びた経験がない。

 戦争を賛美するつもりはいささかもないが、人間が自分の生涯の意味を深く考えるのは、戦争に巻き込まれた時と、大病の時だけなのかもしれない。

 少人数(こにんずう)の特殊部隊が、目的を果たして基地に帰投した場面で、最後の場面はたった2つの言葉で締めくくられていた。

 「ミッション・コンプリート」(任務完了)という意味だ。

私はこの簡潔な表現に思いがけず感動した。

 私が死んだ時、誰かが私の胸の上に、手書きで書いたこの言葉を載せてくれないか、と思う。

 人間の任務は、キリスト教の私から言うと、神から与えられた任務だ。

とんなに小さなものでも、汚れたものでもいい。

神からの命令はどれも重く、深い意味がある。

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曽野綾子高齢者は適当な時期に死ぬ義務あり」